ロンドンの日本人とその生活−その3−

 英国は車社会である、という話題はずいぶん前に書いたような気がする。今日は、日本人社会での車の位置づけに関して深く掘り下げてみようと思う。

 まず、ロンドンで日本人であると胸を張って言い切るためには、車を持っていなくてはならない。もし、車を持っていないのなら、初対面の人との会話の最初に「実は車を持っていないのですよ」って断っておかなくてはならない。さもなければ、車でしか行かれないような貧乏人泣かせな企画に引っ張り込まれてしまうからである。

「じゃ、現地集合ね」なんて言われた日には、「すみませんが、誰か車で乗せていってくれませんか」って言わなくてはならなくなる。

 たまに、車を持っていない日本人に会うことがある。しかし油断(?)をしてはいけない。

筆者「えっ、車を持っていないのですか」
相手「ええ、そうなんです」
筆者「実は私も持っていないのです」
相手「と言うのも、注文したのですけど、ディーラーの事務処理が遅くてまだ届かないのですよ」
筆者「・・・・」

てなことになりかねないからである。

 さて、車がなければ日本人じゃない的状態の日本人社会で、その車はどのように使われているのであろうか。使われ方に違い(もちろん日本にいた時と比べて)があるのであろうか。

 正直言って、東京ほどの渋滞がないロンドンにおいては、ちょっとそこまでの距離でも車に乗ることが多いようだ。わずか100m先でも車で行くのである。子供を連れて公園まで行くときも、例え歩いていった方が早くても車である。買い物は当然車、幼稚園や小学校の送り迎えも車である。車に乗らないのは、バスルームからベットルームまでといった家の中の移動だけである。

 特に、平日の奥さん方の車の使い方は徹底しているようである。週末になれば、夫が運転して遠くへドライブするため、奥さん方の運転する範囲は、自宅周辺半径数マイル(10km以内、いやもっと狭いかも知れない)に限られている。それを越えた範囲は、夫の専門分野であり全く道が分からないというのだ。

 どこに行くにも車であるということは、「すぐそこ」という距離感が我々(いや筆者だけか・・・)と違うということである。地下鉄一駅程度は、筆者が歩いて2、3分の距離というのと同じ感覚なのである。したがって、彼らの「すぐそこ」は、全く参考にならない。ましてや、奥様方は距離感に加えて方向感覚が筆者と違う(方向感覚が違うというのは、どちらかが方向音痴ということ・・・)ので、指差す方向へ行くと大抵間違ったところに連れていかれてしまう。

 ということで、車、欲しいなあ。

前へ
次へ