類は友を呼ぶ
類は友を呼ぶとは良く言ったものである。そう、筆者のような能天気な人間のまわりには、能天気な人が集まると言われている。英国見聞録を読まれている方にアンケートを取れば、自称他称を問わず、能天気といわれる方々のオンパレードになるかもしれない。
しかし、能天気であることは人生を楽しく生きる上では大切な要素であると感じている。特に外国で暮らしていると、神経質な人には堪え難い出来事も少なくない。日本人駐在員やその奥さん方の中には、海外生活に耐えられず途中で帰国してしまう方もいらっしゃると聞く。その点、筆者は、悪口を言われても英語なので理解ができないなどといった利点があるとはいえ、能天気さに助けられ、ここまで無事に生活してきている。
面白いことだが、どんなに英国での生活に憧れていようとも、やはり日本の方が良いと思ってしまう方もいらっしゃるし、その逆に、海外での生活なんて嫌だと思いながらも、来てみたら英国に住みつきたくなってしまう方もいらっしゃる。もちろん、能天気であることが英国生活の秘訣ではなく、相性のようなものもあるようだが。
それはともかく、先日イングランド中部で学会が開かれた時に、とある読者(うら若き女性)とお会いする機会があった。話の流れからすると、彼女が能天気であるということを言い出すのではないかとお思いの方も多いかも知れないが、それは違うのである。それは、彼女に対して失礼というものである。
彼女は、立派な志と将来のビジョンをもって英国に滞在している方であり、筆者のように、歩いた後に能天気さを落としていくようなほどの能天気な方ではない。
では、なぜ、今回のような「類は友を呼ぶ」というタイトルになったかというと、彼女の思考回路がいたく気に入ってしまった、言い換えると筆者と同様な思考回路を持っていることに気がついたからである。
彼女は、突然CPUを取り外すことがあるらしい。もちろん、CPUとはコンピューターの心臓部のことである。彼女が、「私、CPUを取り外したことがあるの」と口にした時、運命の黄色の糸で結ばれた出会いに違いないと感じてしまったのである。もちろん、黄色というのは「筆者特有の思考回路」を抽象的に示す色である。そのものずばりの言葉は差別用語でもあり、筆者の今年の目標でもある「謙虚さ」に反することでもあるため、日本人古来の以心伝心技術を駆使して理解してもらいたい。
もちろん、筆者とて、CPUをはずしたことは一度もない(が、はずそうとして一部が欠けてしまったことはある)。しかし、周辺機器の増設はもとより、BIOSのバージョンアップやディスプレードライバーを自ら日本語化するなど、俗に言う「PCの廃人」への道を歩きかけたこともある。また、「High Gene」(廃人と読む)という名前のDNA編集ソフトを作成しかけた(途中で欲しい機能を持ったソフトが入手できたため挫折)こともあった。
その筆者でも未体験である「CPUはずし」を経験している彼女。その「彼女特有の思考回路」は、筆者をいたく喜ばせてくれたのであった。
今日も英国内のどこかでCPUをはずしている彼女が暮らしていると思うと、黄色い糸を手繰りよせてみたくなるような衝動にかられるの筆者である。
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