300回記念−英国における日本人分子生物学者とは−

 題名は大それたものであるが、内容は通常と大差ないことをお断りしたうえで始めようと思う。今回の話は、英国見聞録前人未踏の300回達成記念(筆者注:英国見聞録はここだけであろうと思うので前人未踏である?)として、決められた誌面(通常原稿用紙5枚程度)を越えたスペシャルバージョンである。したがって、どんなに余談が多く、脱線に脱線を重ね、気がついたたら機関車トーマスが海底二万マイルの潜水艦になっていたとしても、一回読み切りとすることをお約束する(最近は「後編のその2」という凄まじいタイトルまで登場しているため、言葉に携わる職業についていらっしゃる方からの厳しいご指摘もあったりする)。

 筆者は、分子生物学に携わっているといわれている日本人科学者もどき、しかもロンドン貧乏留学中の身である。他の日本人企業駐在員と違い、どこか組織に従属しているわけではない気楽さがあるが、その分すべてを自分で処理しなければならない点は、精神的負担だったりもする。が、今回の話の主題は、ポンド高の現状における貧乏分子生物学者の憂いではないので、これ以上深入りはしないことにする。

 で、何を書こうというのかというと、英国における日本人研究者への一般的評価についてである。もちろん、雪のつもった坂道に「独断と偏見」を芯にして転がしてできあがったものが英国見聞録であるのだから、ここに書かれていることがロンドン在住のすべての日本人研究者にあてはまるものではないことは承知願いたい(となると一般的評価とはならないか?)。

 さて、話は、とある陽気なアイルランド人(以下「ア人」と略す)との会話から始るのである。

ア人「ミツル、俺は、お前がスーパーマンになることを期待しているのだぞ」

筆者「sorry?」

ア人「この前のセミナー聞いただろう。あれって、全くナンセンスな討論だったのは、お前もわかっているはずだろう。俺が何を言っても誰も取り合ってくれないけど、お前が一言言えば、雰囲気ががらっと変わるはずだぞ」

筆者「何で私なんだい」

ア人「どの派閥からも一目置かれているからさ<以下略>」

 この会話に包含されているものは極めて多い。そして、そのほとんどが英国在住日本人研究者にあてはまるに違いないと確信している。

 では、少しずつ解説していくことにしよう。

 まず、派閥問題である。基本的に、日本人は日本人以外とは派閥を作らない(ここで言う派閥とは、研究テーマとも深く関連し、時にデータを奪い合うようなし烈な研究所内の骨肉の争いを含めたものをいう)。もちろん、仲が良い英国人の友人ができるかどうかということとは、別次元の問題である。派閥を作らない最大の理由は、言葉の問題であろう。

 筆者が英国に来た当時は、言葉がわからないという絶対的な問題から、そして英国人特有の複雑な言い回し(要するに以心伝心的表現)から、意志の疎通すら取れない状態であった。そんな状態で、研究所内に巣食う複雑な人間関係を理解してどこかの派閥に属せというは、離婚調停中の夫婦が3才の子供に「お父さんと暮らすか、お母さんと暮らすか、自分で決めなさい」と言っているようなものである。無理な話である。

 が、3年も生活すると、筆者のような英語音痴(これを略して「えっち」という)でも英語の「え」の字ぐらいは理解できるようになってしまう。そのため、場合によっては、派閥からのお誘いがかかることもある。ここで、どこかの派閥に入ってしまえば、ぬくぬくと安定した生活が保証されるのであるが、元来貪欲な日本人は拒否することであろう。中立を保つのである。

 中立を保つといっても、オーストリアやスイスのように永世中立国を宣言したとしても、誰も注目はしてくれないだろう。大国からすれば、宣言は宣言以上でもなければ以下でもないからだ。いざとなれば、大国の都合でいくらとでもなると思われている部分もあるに違いない。そう、中立を保つためには、それ相当の軍事力がなければいけないのである。もちろん、オーストリアやスイスの軍事力を軽んじているわけではないが、大国が攻め入ればひとたまりもないだろう。また、ある大国から攻め込まれたときに、別の大国が援助しようとなれば、戦況が悪ければ悪いほどその力に頼ってしまいがちであろう。

 段々話がそれ始めているが、そのまま続けよう。研究者が持つ軍事力とは無限の探求心と向上心、そして吸収力などである。それらを持ちつづけている間は、ある一定の独立を保つことができる。が、一旦、守りの転じて人に媚びることを覚えてしまうと、あとは坂道を転げ落ちるどころか崖を一直線に落ちるがごとくに、独立性を失っていく。そして、研究は独立性がなければいけない。もちろん、共同研究をするなといっているのではない。誰かが期待している答えを見つけるとか、既存の知識の中で説明をつけようと無理矢理こじつけてしまうような、回りからの万有引力でがんじがらめになってしまっている考え方ではいけないということである。万有引力はすべてのものが持っているものである。自分も持っていることを再確認することはマイナスにはならないだろう。

 さて、話を戻そう。とにかく、筆者は派閥には入っていない。が、その最大の理由は、日本人特有の知識の広さによるだろう。これは、筆者が博識であると自慢しているのではない。日本の小学生が英国の小学校に来ると算数の天才として奉られてしまうことと同様に、日本人研究者が英国に来ると分子生物学の天才、あるいはグールー(日本語で言えば「尊師」のようなもの。ちょっと危険な香がするが)として崇められてしまうことが多いのである。

 それは、日本において求められてきた研究者像に起因する。現在の研究室がどうであるかは知らないが、その昔は教授以外は人間以下であり、卒論生に至ってはゴキブリのような存在であった(そういう理由からか、夜になるとやってくる学生も多かった)。そのため、水作り(筆者の時代には、職人芸的な微調整が必要な蒸留水作成機なんていうものがあった)から始り、研究室で消費するさまざまな素材作り(DNA分子量マーカー作りや培地などなど)というシベリア強制労働的(というのは大袈裟だが)な下積み時代を過ごさなければならなかった。

 が、筆者はそれを否定するわけでも肯定するわけでもない。ただ、そういったことを通して、様々な知識を吸収したことだけは確かである。何でもかんでもキットで済ませてしまう時代では体験できないことであろう。ましてや、研究室の倉庫を除くと、鈴木梅太郎先生が使われたという実験器具がごろごろしているという状況は、わざわざお金を出してガリレオが使った実験器具を見に行ったことが馬鹿らしくなるぐらいの贅沢な環境だったといえよう。ん、また話がそれ始めてしまった。戻そう。

 すなわち、日本人科学者は、原理を含めて基礎からすべてを一人でこなせるように期待されているのである。いや、必然的にそうなっていくのである。

 驚いたことに、こういったことは英国ではあり得ないことである。ポスドク、すなわち博士でありながらDNAライブラリーの作成方法すら知らないなんてことは珍しくない。サザンハイブリダイゼーションの方法を聞いてくる人も多かったりする。彼らが知らないというのは、実験方法を知らないというだけではなく、どういうものなのか原理すら知らないことも多い。もちろん、DNAシーケンス用ゲルの作成方法にスライディング法何ていうものがあるということまで知っていて欲しいとは言わないが、トランスフェクション実験だけで博士を取ってしまえるような英国の学位審査は問題かもしれない。

 かくして、「日本人は何でもかんでも知っているらしい」というステレオタイプができががるのである。しかも、筆者は今は亡き「農芸化学」の出身である。農芸化学は広く浅く知っていることが最大の美徳のような学科であるため、そこで学位を取ることは山のような知識を習得したということに等しい。唯一習得していないのは、いかにして教授が学生をいじめるかという秘術ぐらいであろう。

 ステレオタイプの日本人をさらに増強したければ、パソコンオタク振りを見せるとよい。研究室のパソコンをカスタマイズしたり、自分のホームページ(筆者のことか?)などを持っていたりしたら最高である。「あいつは、ICRFのホストコンピューターにも侵入できるに違いない」という評判を得るには、そう時間はかからないだろう(もちろん経験談)。

 何の話だったろうか。そう、かくして、何でも知っている日本人の元に、三顧の礼で人々がやってきてはアドバイスを拝聴するという図式が出来上がり、スーパーマンとしての素質を持つと認識されるに至るのである。これでは、派閥に属することもできにくいだろう。

 そして、冒頭のア人の会話となるのである。クラーク・ケントで居続ける筆者を何とかしてスーパーマンに変身させようとするア人である。狭い見識から来る研究の息詰まり、一つのテクニックにこだわるあまりに進歩がない研究など、確かに見ていてもどかしさを感じることもある。それを道行く新聞記者のクラーク・ケントが指摘しても誰も耳をかさないが、スーパーマンに変身したクラーク・ケントのいうことなら、素直に聞くことだろう。かくして、スーパーマン待望論にいくつくわけであり、まるで教祖様を作りだす株式会社スーパーマン教団のように、日本人がスーパーマンに祭り上げられていくのである。

 しかしである。スーパーマンにはスーパーマンなりの苦悩があることは、意外と知られていない(もちろん落馬の悪夢が恐いということではない)。彼は、誰からも愛され、誰からも期待されるがゆえに、自分を愛することができなくなってしまうのである。自分を愛する時間がないからだ。自分を愛することができないスーパーマンに、世界を愛することができるのであろうか。そんな超人的な芸当は、やはりスーパーマンしかできないに違いない。筆者は、スーパーマンにはなれないらしい。

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