詩人になりたい
本日の散文では、日頃の毒舌(毒指)を控え、文体さえも変え、ホームページを通じて触れ合うことができたすべての人々に感謝の気持ちをささげたいと思います。
人には、人に知られたくない部分というものがあります。それが失恋の痛手であったり、仕事上の失敗であったり、はたまた人間関係の問題であったりという違いこそあれ、すべてをさらけ出す勇気を持っている人は、少ないことと思います。それは、人として生きていくための防衛本能と言ってもよいかと思います。
かくいう私も、ホームページでは書くことができないような、あるいは言葉として表現することすらできないようなプライベートな部分を持っていることを否定することはできません。また、それは、話すべきことでもないでしょうし、聞く人にとっても苦痛以外の何物でもないかもしれません。よき友人は、その影の部分を言わずとも察してくれます。また、友人達の言葉の一つ一つが、知らず知らずのうちに私の心の支えになることもあります。
私は、日本に一時帰国して以来、様々な友人と再会しました。2年間という短いブランクは、幼い子供を成長させるには十分ですが、友人達をして私から遠ざけるには十分ではなかったのでしょうか。それとも、彼らの温かい心は、もともと冷えることを知らなかったのでしょうか。私を迎えてくれる人々の温かい笑顔は、2年前のそれと何等変わりないものでした。その笑顔が、私をどれ程勇気づけてくれたことか。
そして、英国滞在中に始めたホームページを通じて知り合った方達ともお会いすることができました。私の駄文を忍耐強く読んでくださり、時には励ましのメールをくださる方々には、どんなに感謝しても感謝しきれるものではありません。
英国へ行くまでの道のり、そしてまったく日本人がいない研究室での苦労は、家族の理解、日本の友人達、そしてホームページで知り合った方々の温かい言葉があったからこそ乗り越えられたと言っていいでしょう。
この2年間、そして一時帰国して、人は、決して一人では生きていかれないということを痛感させられました。私は、これまでの人生の中で、人を傷つけてきたこともあるでしょうし、傷つけられたこともあります。でも、そのどんな傷も、人と触れ合うことによって癒されてきたと感じています。その意味で、私は無人島では生きていかれないと思います。今なら、無人島で素晴らしい環境や動物達に囲まれて生活したとしても、満たされないものを感じるに違いないと断言できます。その満たされないものこそが、人そのもの、あるいは人との関係です。
未熟さゆえ、感謝の気持ちを表現するすべを持たない悲しさに愕然としながらも、私を支えてくれている方々に何か伝えなくてはいけないと強く感じ、いつになく厳粛な気持ちでキーボードに向かっています。そして、感謝の気持ちを表現することができるなら、詩人になりたいと思いました。素直に感じたことを表現できる詩人なら、今の私の気持ちをどう表現したのか、それを知りたいと切に思うのです。
ホームページという表現手段を得た私達は、それをどのように用い発展させていくかという使命を課せられたといってもいいでしょう。不特定多数の方々に発するメッセージが持つ重みは、私のような個人の思惑をはるかに越えた力を包含していることを、常に考えていかなくてはなりません。人が、人との関係の中でしか生きていくことができないのなら、ホームページが現実社会の縮図となることもありえます。素晴らしい関係のみを反映できるのならば、これこそ理想のバーチャル・リアリティになることでしょう。現実社会のすべてを持ちこむことが、インターネットの将来だとは思いたくありません。
おそらく、これからも私のホームページは続いていくことでしょう。時に、私のいたらなさにより、気分を害されることもあるやも知れません。その時には、メール等にて遠慮なく叱責の言葉をお送りください。謙虚な気持ちを忘れず、受け止めたいと思っています。
そして、すべてが新しくなる4月には、また新しい方との出会いが待っているかもしれません。それが、お互いにとってよき出会いでありたいと願うとともに、この場をお借りして、私のこれまでの人生で出会ったすべての方々に深く感謝いたします。私の中に住む詩人は、「ありがとうございます」という簡単な言葉しか持っていませんが。
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