Breakthrough of The Year

 久しぶりの分子生物学徒然日記である。気がついたら、更新しないうちに1997年となってしまったいた。実は、紹介しようと思っていた1996年11,12月の論文が複数あったのだが、年が明けてしまっては新鮮さに欠けるので、書きかけ原稿と共に廃棄することにした。

 しかし、1997年を彩るであろう数々の論文を迎える前に、1996年の分子生物学シーンを総括しなければない。総括といっても、浅間山荘事件とは一切関係ない(このジョークが通じる人は35才以上に違いない)。とにかく、今回は、この一年の分子生物学の進歩を振り返ってみようと思う。

 一年を振り返るためにもっとも相応しい論文は、Scienceの年内最終号の特集「Molecule of the year」である。その年、一番印象に残った「分子」を選出する栄えある賞である。もちろん、これは、かの有名な「Man of The Year」をもじった企画である。が、今年はちょっと違った。「Molecule」という言葉が「Breakthrough」に代えられてしまっていたのだ。確かに「Molecule」という言葉に限定されてしまうと、もっともインパクトがあったことを選出できなくなってしまう可能性もあるので妥当な変更であろう。

 その意味では、大晦日のレコード大賞もネーミングを変える時期がきたのではないだろうか。今時、レコードをリリースする歌手など皆無であろう。もちろん、CDである。ましてや、一番売れた曲が大賞を授賞するとは限らない矛盾を抱えているレコード大賞(後ろ楯次第であったりする)は、そろそろ名称を変えることによって、国民の支持を得なければならないだろう(昨年の場合、安室なにがしが授賞したのは妥当かもしれないが)。もっとも、名前を変えても、黒幕が同じでは不平不満がたまり、結果的に分裂をまねくこともあるので注意が必要である。ん、何だか政治の匂いがしてきてしまった。

 今年も、相変わらず脱線が多い出だしであるが、とにかく話を戻そう。

 1996年の「Breakthrough of The Year」は、HIVである(参考までに、Man of The YearもAIDS関連の研究者であった)。これは、HIV自身に与えれられたのではなく、AIDSの治療法に光明が見えたことに対して与えられたのである。AIDSと言えば、絶望や差別といった否定的な言葉しか出てこなかった時代は過ぎ去り、人類はやっと無敵のHIVと対等に戦う手段を手にしたのである。例えるなら、かつて無敵だったマイク・タイソンがヘビー級のタイトルを失ったようなものである。そう、マイク・タイソンも人の子だったのと同じように、HIVも人の子、いやウイルスの子(?)であったのだ。

 従来AIDSに対する治療薬(?)としては、AZTが使われてきた。これは、ご存知のように、AIDSウイルスが持つ逆転写酵素の阻害剤である。しかし、その効き目は満足できるものではなかった。1996年に報告された抗AIDSウイルス剤は、chemokineとプロテアーゼ阻害剤の2つである。

 ウイルスが細胞内に侵入するには、細胞表層上のレセプター等を認識しなければならない。AIDSウイルスの場合は、それがCD4であることが大昔から知られてきた。が、それだけではないことも示唆されており、第2のターゲットが何かということに研究者の注目が集まっていた。それが、ckemokineレセプターのCXCR4であったのだ。ちなみにこの遺伝子は、その挙動が不審なことから、その昔fusin遺伝子と呼ばれていたものである(もちろん挙動が不審というのは冗談である。念のため)。

 この分子生物学徒然日記を読破してきた読者の方々なら、このCXCR4をブロックするような薬を開発すれば、AIDSウイルスの進入を防ぐことができるのは、容易に想像できるであろう。まさにその通りのことを試みているのである。

 同様に、ADISウイルスを形成するたんぱく質の成熟化を阻害することもウイルスの増殖を止める作用があることも理解できるに違いない。たんぱく質の成熟化に関与するたんぱく質が、プロテアーゼである。

 さて、以上の2つの武器をもってすれば、AIDSウイルスの増殖を押さえることができるに違いない(完治するわけではないという意味では、根本的な治療方法にはなっていないが)。これをBreakthroughと言わなくて、他に何をBreakthroughと言えるだろうか。

 実は、1996年の「Breakthrough of The Year」は、HIVだけにとどまらない。これ以外にも、いくつかのBreakthroughが紹介されているので、それらについても簡単に触れておこう。

 まず、第一番手は、この分子生物学徒然日記でも紹介した「Life on Mars」である。太古の火星に原始的な生物がいたという証拠(?)が発表されたニュースは、日本でも大々的に取り上げられたに違いない(筆者は現段階では懐疑的であるが)。

 そして、真核生物や原核生物とことなる古細菌(Archaea)の全ゲノム情報が明らかにされたことも大きいだろう(日本のどこかの研究所が負けたのは悔しいが)。種々の酵素類が工業的に利用可能されるかもしれない。ゲノムといえば、酵母の全ゲノム配列が決まったのも画期的なことであった。真核生物では最初の成功例である。

 また、筆者の住む英国で大問題となり、筆者の食卓にまで大影響を及ぼした狂牛病もBreakthroughの一つである。牛に見られるBSEが、肉を食べることによって人に感染し、CJDを引き起こす可能性があるということを英国政府が認めた時のパニックは、今でも記憶に残っている。ただ、オイルショックの時のトイレットペーパー争奪戦程ではなかった。噂によると、すでに世界中にBSEが広がりつつあるということのなので、例え和牛でも安心はできないかもしれない。

 1996年のノーベル医学生理学賞が、T細胞関連の研究に与えられたのと前後して、T細胞リセプターとMHCの3次元構造等が明らかにされた。

 面白いところでは、分子生物学とはまったく関係ないが、地球の内部には、地球の自転より早く回転しているコアがあることが報告されたことである。また、インターネットを楽しむ人には関係あるかもしれないが、新しいブルーレーザーによるCD(CD-ROM)の革命も面白い。従来のCDは赤外線を使っていたが、それをガリウムからのブルーの光に変えると、より集約が可能になるというのだ。

 気がついたら、これまでの分子生物学徒然日記の中で一番長くなってしまった。他にも、ICE様プロテアーゼやFasLなどもあるが、長くなりすぎるので割愛させてもらう。

 ふと振り返ると、分子生物学徒然日記で紹介した論文が非常に多いことに気がつくであろう。この雑文も意外と役立つのかもしれないと、少々自画自賛ぎみである。

 ということで、次回からはいつも通り最新(?)の論文紹介に戻る予定である。しかも冒頭で、不用意にも1997年の論文を紹介していくと書いてしまったので、それを実行すべく論文を探しているところである。来週までになんとかなるだろうか。不安である。